棟方志功 〜日本が誇る世界のムナカタ〜
SHIKO MUNAKATA
1903年 青森に生まれる
1936年 国画会展出品作<大和し美し>により柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らに見出される
1949年 岡本かの子の詩による<女人観世音板画巻>を発表、この作品が1952年 スイスのルガノ国際版画展で優秀賞受賞
1955年 サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展で版画部門最高賞受賞
1956年 <二菩薩釈迦十大弟子>がヴェネツィア・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞。世界のムナカタの地位を確立する
1970年 文化勲章受章
1975年 歿。享年72歳。青森市に棟方志功記念館が開館
棟方の言葉
<板画>
わたくしが板画という字を使うので、板と版とどう違うのかと聞く人がいるんですよ。まえまえ、わたくしも板画をはじめたころは、版という字を使っていたんだが板画の心がわかってからは、やっぱり、板画というものは板が生まれた性質を大事にあつかわなければならない。木の魂というものをじかに生み出さなければダメだと思いましてね。ほかの人たちの版画とは別な性質から生まれていかなければいけない。板の声を聞くというのが、板という字を使うことにしたわけなんです。
〜「花深処無行跡」昭和38年
<倭画>
鎌倉絵巻は、日本の絵画の最も美事な振舞として、今を進めて居る日本の魂の様に、この美事はつづいて居る。桃山障屏の偉大は、わたくしたち日本の立派な度胸として今に歓喜を血脈させて離れない。日本美術の生命は、鎌倉、桃山に息憤かれ居る。(中略)倭画を、わたくしが創めた所以であります。〜昭和28年5月
※日本画用の絵具で描いた自分の肉筆画作品を棟方は<倭画>と呼び表した。絵巻物や障壁画に代表される伝統的な日本の絵画に対する称賛を込めて「やまと」の語を使用したもの。