アンディ・ウォーホル
ANDY WARHOL
1928年 | アメリカ・ピッツバーグ出身 |
1949年 | カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学) 美術部門卒業 |
1952年 | 新聞広告美術部門で「アートディレクターズクラブ賞」を受賞 |
商業デザイナーとしてニューヨークで活動し、線画にのせたインクを紙に | |
転写する 「ブロッテドライン」という手法を多用したイラストレーション | |
が評判となる | |
1960年 | アーティストとして本格的に制作を開始 |
1964年 | ニューヨークにファクトリースタジオを創設 |
当時目覚ましい経済成長のさなかにあったアメリカの大量消費社会を背景 | |
に、版画技法のシルクスクリーンを用いた「大量生産」のアジテーションと | |
も呼べる作品を次々と発表する | |
1970年 | ライフ誌の “1960年代に最も影響力のあった人物”として選ばれる |
1971年 | 個展 (渋谷: 西武百貨店) |
1974年 | 個展 (東京、 神戸: 大丸) |
1983年 | 「アンディ・ウォーホル センセーション'83」 (渋谷パルコギャラリー) |
1987年 | 急逝 |
1994年 | アンディ・ウォーホル美術館開館 (ピッツバーグ市) |
60年代初頭より、キャンベルスープ、コカ・コーラなどの資本主義社会の象徴的な人気商品やマリリン・モンロー、エルビス・プレスリーなど数多くの著名人をモチーフにシルクスクリーンで色彩処理し、フラットな画面に反復させた作品を通してアメリカ社会の平等性・通俗性を体現。64年にはスタジオファクトリーを構え、実験映画を多数制作するほか、ロックバンドのアルバムのプロデュース、インタビューのみで構成された月刊誌『インタビュー』誌の創刊など活動の場を広げ、72年以降はパトロンや友人からの注文に応じておびただしい数の肖像画を手がけるなど、アートをビジネスとして展開。
“ポップ・アートの旗手”として活動するとともに、新たなポップカルチャーを定義。
生前、「僕は誰もが機械であるべきだと思う」「アンディ・ウォーホルについて知りたいなら、表面だけを見ればいい」と語り、自我、内面、創造など、芸術にまつわる従来的な諸概念の排除を試みた。
彼が美術史に及ぼした影響は大きく、伝説的な存在となった。
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KIKU (シルクスクリーン 左下に鉛筆でサイン・番号入り) [画寸法 498×660mm] 1983年作 [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann II.307掲載 ANDY WARHOL |
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The New Spirit (Donald Duck)「広告」より (シルクスクリーン 左下に鉛筆でサイン・番号入り) [画寸法 965×965mm] 1985年作 ANDY WARHOL 作品裏右下にコピーライトスタンプ 作品右下に版元と刷り師のエンボス [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann II.357掲載 |
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INGRID BERGMAN (HERSELF) (シルクスクリーン 右下に鉛筆でサイン・番号入り) [画寸法 965×965mm] 1983年作 ANDY WARHOL 作品裏左下にコピーライトスタンプ 作品左下に版元と刷り師のエンボス [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann II.313掲載 |
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FLOWERS SOLD OUT (HAND-COLORED) (スクリーンプリント・手彩 サイン・番号入り) [画寸法 1038×692mm] 1974年作 ANDY WARHOL [カタログレゾネ] Feldman&Schellmann II.113掲載 |
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サム SOLD OUT (オフセットリトグラフ、手彩色) [画寸法 356×254mm] 1954年作 ANDY WARHOL [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann IV.51(a)掲載 |
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「サムという名の猫と一匹の青い猫」より SOLD OUT (オフセットリトグラフ、手彩色) [画寸法 229×149mm] 1954年作 190部限定 ANDY WARHOL [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann IV.54掲載 |
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「サムという名の猫と一匹の青い猫」より SOLD OUT (オフセットリトグラフ、手彩色) [画寸法 203×143mm] 1954年作 190部限定 ANDY WARHOL [カタログレゾネ] Feldman & Schellmann IV.58掲載 |