片岡球子
TAMAKO KATAOKA
1905年 札幌市生まれ
1926年 女子美術専門学校を卒業後、神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭に着任
1946年 安田靫彦に師事。第31回院展無鑑査出品作「夏」が日本美術院賞受賞
1955年 横浜市立大岡小学校を依願退職後、女子美術大学日本画科専任講師に着任
1965年 女子美術大学日本画家教授に就任
1976年 勲三等瑞宝章受章
1986年 文化功労者として顕彰される
1989年 文化勲章受章
2008年 歿。享年103歳。
桜島、浅間、昭和新山等の活気ある山々や奇岩で名高い妙義山や、神住み給うという高千穂の峯など、活火山、休火山、死火山と追いつめて遂に富士までやって来ました。急に富士からストップの号令がかかって立往生と云うところです。
富士は、雄大無比、厳しく、しかも美しい。全く魅力的です。
あどけない私の描く富士が、人々に勇気をあたえたり、病気がなおるような気持ちになったり、何か良いことに出会いそうな豊かな心に恵まれたり、花の咲く富士山に遊びに行きたくなったり、雪降りしきる富士のがまんを知ったり、富士山の絵で清められたり、できたらなぁ、などと乙女の祈りのような心で沢山描いていくつもりですし、これを実行したいというのが近ごろの私の日常生活です。〜片岡球子