KIYOSHI SAITO
斎藤 清
KIYOSHI SAITO
1907年 | 福島県河沼郡会津坂下町に生まれる。 |
1931年 | 24歳 上京し独学で絵を学ぶ。 |
1932年 | 25歳 第9回白日会展に油彩を出品、初入選。 |
1933年 | 26歳 第1回東光会展に油彩が入選する。 |
1935年 | 28歳 第10回国画会展に油彩を出品、初入選。 |
1936年 | 29歳 初めて木版画を制作。第5回日本版画協会展に出品、初入選。 |
1937年 | 30歳 第12回国画会展版画部門に初入選、 |
1940年 | 33歳 《会津の冬》の第1号を制作する。 |
1944年 | 37歳 朝日新聞社に入社(1954年退社)。 |
1948年 | 41歳 サロン・ド・プランタン展に《ミルク》を出品、1等賞受賞。 |
1951年 | 44歳 サンパウロ・ビエンナーレに 《凝視(花)》を出品、 |
三越にて 「斎藤清創作版画展」開催、以後毎年開催。 | |
1952年 | 45歳 アメリカで初の個展開催。(ニューヨーク) |
1956年 | 49歳 アメリカ国務省、アジア文化財団の招きでアメリカ、メキシコを訪問。各地で実技指導を実施、個展を開催。 |
1957年 | 50歳 第2回リュブリアナ国際版画ビエンナーレに出品し受賞。 |
アジア・アフリカ諸国国際美術展に出品し受賞。 | |
「斎藤清木版画展」 ワシントン・コーコラン美術館にて開催。 | |
1959年 | 52歳 訪仏、パリに滞在しスケッチを重ねる。 |
1962年 | 55歳「斎藤清版画展」のためニューヨーク訪問。 |
1970年 | 63歳 連作《会津の冬》最初の20点を発表。鎌倉市に転居。 |
1976年 | 69歳 福島県より県外在住者知事表彰を受ける。 |
柳津町名誉町民となる。 | |
1981年 | 74歳 秋の叙勲で勲四等瑞宝章の栄誉をうける。 |
1995年 | 88歳 国の文化功労者に顕彰される。 |
1997年 | 90歳「斎藤清の全貌展」福島県立美術館にて開催。 |
やないづ町立斎藤清美術館開館記念展を開催。 | |
11月14日 会津若松市の病院で没する。 |
芸術は一切いらぬことをせず、不要のものを省き去って急所を把握することにあると主張。伝統木版に現代感覚を注入した版画作品は微妙な墨色を生かした墨画により日本の心を描きつくしている。やさしさと強固な意志をもって独自の道を歩んだ現代木版画の巨匠の一人。 1980年福島県立美術館に自作木版画、コラグラフなど約300点を寄贈。