平山郁夫
IKUO HIRAYAMA
1930年 広島県生まれ
1952年 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科を卒業。同校助手となる
1964年 日本美術院同人に推挙される
1966年 トルコ・カッパドキア等の遺跡を取材。以降35年間、130回以上にわたりシルクロードの国々を訪問、取材
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写に参加
1973年 高松塚古墳壁画模写に参加。東京藝術大学教授となる
1988年 ユネスコ親善大使に就任
1989年 東京藝術大学学長(〜1995年)に就任
1993年 文化功労者に顕彰される
1998年 文化勲章受章
2000年 「大唐西域壁画」(薬師寺玄奘三蔵院壁画)完成
2001年 再び東京藝術大学学長(〜2005年)に就任
2004年 「平山郁夫シルクロード美術館」開館
2009年 歿。享年79歳。従三位追贈
〜私の技法〜
日本画の命は線にあると言われる。確かに、法隆寺の壁に描かれた仏様の像や、「鳥獣戯画」に代表される絵巻物などを見ていると、一本の線が気高さや厳しさを、あるいは楽しさや滑稽味といったさまざまな表情を、自在に表現しているのが分かる。わずか一本の線でありながら、その勢い、リズム、濃淡の違いなどによって、幅広い効果を生み出しているのだ。日本画の基本は線にあるという教えは、今日でも不変である。(中略)
では、厚塗りは線の要素を無視しているのかというと、けっしてそうではない。厚塗りの場合でも基本は線である。あくまでも線が決めてである。(中略)
しかし無論、それだけで厚塗りをしているわけではない。一番大事なことは、何度も何度も塗り重ねるという行為を通じて、自分の思い、気持ちを絵の中に込めることである。重ね塗りとはいうものの、実際にしている行為は「塗る」ことではない。一筆一筆描いているのである。時にそれは、五十回、六十回、七十回にも及ぶ。この仕事を繰り返していると、結局のところ絵は技術で描くのではなく、何か自分を超えたものに描かされているのではないだろうかと思うこともある。
釈迦が涅槃に入った姿が描けなくて悩んでいたころ、たまたま義父の死に遭遇して悲しみだけではない死の形があることを知った。その実感をもとに描いたのが「入涅槃幻想」だが、最後のころは「あとはよく見えてくれますように」と手を合わせて祈ったものだ。重ね塗りを繰り返しているときの心境もそれに近い。〜平山郁夫『道遥か』自伝画文集